「雑草魂」 プロ野球選手 上原浩治選手
甲子園球児たちの熱戦が続く毎日ですね!
しかし甲子園でスポットライトを浴びることができるのは本当に限られた一握りの選手たちだけ。
意外なことに上原選手は甲子園ではスポットライトを浴びることのなかった選手の一人です。
上原選手は高校時代、3年生の途中までは外野手。ピッチャーをするようになったのは3年途中からで、当時はエースピッチャーの控えで打撃投手をするいわゆる補欠だったそうです。
さらに、将来の体育教師を志した受験にも初年度は失敗。浪人で予備校に通いながら1年後に合格したのが大阪体育大学(大体大)でした。
大体大は今でこそ社会人、プロに選手を送り込む強豪ですが、当時はプロスカウトからソッポを向かれるほどノーマークの学校で専用グラウンドすらなく、チーム全体がまとまって練習するのは昼休みの約30分間に限られた状況だったそうです。
チームの遠征費は大半が自己負担で、上原選手も夜中の工事現場での警備員、運送業などのアルバイトで活動費を貯めながら野球を続けていたとか。
しかしその地道な努力が実を結び、大学3年生で全日本代表メンバーに選出されます。
そうして日本代表として結果を出し始めた上原選手は、試合後他の選手たちがスポーツメーカーから支給された手袋、アンダーシャツなどの用具を平気でポイ捨てして帰る光景に驚いたのだそうです。
恵まれない環境に育った上原選手にとっては、その光景こそが「こいつらには絶対に負けない」という闘争心をかき立てる原動力となったのです。
この反骨心が上原選手の「雑草魂」の源。
スポットライトを浴びなくても、誰かのサポートが得られなくても、努力し続ける強さを見習いたいものですね。