仏教の教えから「怒り」を考える
みなさんこんにちは。
今月の投稿は、社員育成のご提案をさせて頂いている
髙橋が担当いたします!
私の最近のブームは「仏教」です。
元々心理学などに関心があったのですが、いろんな考え方が
「仏教の教え」と関連していると感じ興味を持つようになり、
実際にお坊さんのお話しを聞いたり、日々勉強をしています。
そこで、仕事、家庭、様々な環境下で役に立つ仏教の教えから
私たちが当然に持つ感情である「怒り」について考えてみようと思います。
人材育成の中では「アンガーマネジメント」というテーマで研修も行われている重要なテーマですが、
仏教の教えも知れば、+αで私たちの生活にヒントを与えてくれると考えています。
■仏教での「怒り」の定義
仏教に「三毒の煩悩」という言葉があります。
全部で108ある煩悩の中でも、特に私たちを苦しませ悩ませる3つの大きなものが
「三毒の煩悩」です。
その3つとは、貪・瞋・癡(とん・じん・ち)と言われ、
それぞれ【欲】【怒り】【物事の真理を知らないこと】という意味があります。
お釈迦様は、「怒り」は私たちを特に苦しませる煩悩の1つと伝えています。
■「怒り」の最大の問題点
一般的に私たちが怒る時は「自分の思い通りにならない」という
状況下が多いのではないでしょうか。
「(こうすることが普通なのに)なぜ相手はこうしてくれないのか」
これが発端の争いは誰しも経験があると思います。
私自身、お恥ずかしながら社会に出てしばらくは「自分の思い通りにならない」
「相手の理解できない行動」などについて怒り、
「反射的に怒りのままに自己主張する」ことが多く
むしろ人と正面切ってぶつかることが良いと思い込んでいました。
そしてその結果、当然のことながら
友人や会社の先輩とぶつかることの多い日々を過ごし、
相手が折れ、思い通りになったこともたくさんありました。
しかしそこで気付いたのは
「怒っている時は苦しいし、思い通りになったとしてもイヤな気持ちが残っている」
ということです。
まさに三毒と言われている通り、
怒りの毒は怒っている人から蝕んでいく「諸刃の剣」です。
怒りのままにとったアクションは、
解決は疎か相手を攻撃するだけでなく
自分をも傷つけているということです。
■「怒り」は諸刃の剣である
この概念を知ってから、私は怒りが沸き起こりそうになった時に
「自分も傷つける」というワードが思い浮かぶようになりました。
アンガーマネジメントの手法でもよく言われる「6秒間待ってみる」といった
ピークタイムを乗り越えるもう1つの思考回路をゲットしました。
よくよく考えてみると、当たり前ですが世の中は思い通りにならないことだらけで
思い通りにならないことにとらわれているほど人生は長くないのです。
また、“思い通りにならない”と感じる人も
仏様のようなはたらきをすることがあると言われています。
そう思われてまで私に私の姿を教えてくれるからです。
そういう概念を知ると、ちょっと合わない人にも
慈悲の心で接することができるようになるかもしれませんよね。
■思い通りにならないのはあたりまえ、思い通りになったらありがたい
最後に、仏教では思い通りにならないことを
無理やり思い通りにする必要はないと説いています。
怒りは諸刃の剣です。相手はもちろんのこと自分をも傷つけてしまう「怒り」を俯瞰して見ることができれば、
もう少し日々のコミュニケーションが軽やかになるかもしれません。