日報の意義を新入社員が問い直してみる
こんにちは。
株式会社JAM・2020年新卒入社の小西です。
ある友人はそれを「面倒くさい」の一言で片付け、
ある友人はそれを「とりあえずでこなしてるよね(笑)」と笑い、
ある友人はそれを「自由を得る前の最後の試練であり快感」と称する。
それが、新入社員にとっての「日次報告(=日報)」です。
ちなみに最後の友人はちょっと変な人間です。
■日報とは体温計である
日報とはなんのためにあるか?
本コラムでは「なぜか日報に対して嫌悪感を抱かない新入社員」の小西が、自分にとっての日報の意義を問い直していこうと思います。
折角なので、ありきたりな「自身の業務を振り返るため」以外で整理してみます。
自分にとって、日報はセルフチェックのような機能を果たしています。
①その日の取り組み(箇条書きで可)
② <good><bad><next>の3つのラベルでの振り返り
③感想・ひとこと
当社では至ってシンプルで、これら3つのテーマで日報を書きます。
何を書いたか?どう書いたか?が自分の心情を計る上では結構大事なポイントだったりします。
例えば、こんなとき。
楽しそうですね。<good>の欄からメラメラが伝わります。「イイ仕事したなあ〜〜!!」という時です。
何を書いたか:仕事がうまくいったこと
どう書いたか:思いをそのまま書いた
こんな時は最高ですね。問題ナシです。
一方で。例えば、こんなとき。
何でもないように見えて、これは「思ってもいないこと」で固めた日報です。
「く〜〜成果出せん」と悩みに悩んでいた時ですね。
何を書いたか:当たり障りのないこと
どう書いたか:思っていることを隠して書いた
自分の中でこの状態は「黄色信号」だと認識しています。思いをそのまま書く(=周りに頼る)こともしない状態なので。こんな日報を提出した日は仕事終わりにサウナにでも行きます。
■日報とはTwitterである
セルフチェックに加えて、対話の場としての機能も果たしています。
Slackの全社のチャンネルに毎回投稿しているため、当社の社員であれば誰でもコメントができる仕組みです。
なので、時にはこうなります。
社長からコメントが来ます。
当社はニューノーマル時代への移行を受け「ロケーションフリー」の原則の下、各人が場所を自由に選択し働いています。
そうなると、やはりコミュニケーションの場は減るんです。
週に1回「jammin」という雑談だけをするオンラインミーティングが組まれていますが…偶発的な対話の機会(オフィスでたまたま顔を合わせる、すれ違うなど)は失われているのも現状です。
自分のようなかまってちゃんの新入社員にとっては、日報が「気軽に反応をもらえるTwitterのような場」として機能していることがありがたかったりします。
■「機能する日報」の背景には何があるのか?
以上を踏まえて。
自分が日報に嫌悪感を抱かず、むしろ価値を感じられているのは下記の3点によるものかなと思いました。
・「ある程度のことは言っても大丈夫」の心理的安全性が確保されていること
・誰でもアクセスできる場所に発信されること
・誰でもコメントできる状態にあること
心理的安全性が土台にあることで「こなす」日報ではなくなっていますし、
誰でもアクセスできる場所に発信しているからこそ「知ってくれる」実感を得られますし、
誰でもコメントできる状態にあるから反応を得られます。
正確にいうと自分も「日報=面倒くさい」と思っていた人間でしたが、「何を書いても大丈夫」の実感を徐々に得てからは良いものだと思うようになりました。ちゃんと思いを書けるし、書けなかったとしても「その時は黄色信号」と判断することができる。
会社のカルチャーや規模によって形は様々かとは思いますが、日々の信頼関係と形式のひと工夫で日報は機能するかと思います。
全国にいる新入社員の同志諸君に、良い日報ライフが与えられんことを。
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